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学園青春もの

ニコニコ動画でお金払えば見れる感じだったので、「琴浦さん」を3話まで観た。良かった。琴浦さん欲しくなった。会社の机とかに置いておきたい。テレビ持ってないのにアニメが見れて、いい時代になった。

* * *


学園青春ものの作品を観るたびに思う。青春してる登場人物をめちゃくちゃ羨みつつも、自分が同じ状況でも全く楽しめないだろうな、ということが分かってしまう。

自分は何か1つでも心配事があると、途端に娯楽をほとんど楽しめなくなってしまう性格だからだ。


僕は勉強ができなくて、高校時代は、担任からは進路面談のたびに「このままだと行くところ(大学)が無いぞ」と溜息をつかれているような劣等生だった。コンピュータに興味がありつつも理系に進めなかったのは、表向きは「当時はまだやりたいことが分からなかったから」ということにしてきたけれど、実際の理由は「理系に進みます」と担任に言えるような成績ではなかったからだ。

自分は勉強ができない、というコンプレックスは常にあって(今も少なからず引きずっている)、クラスメートのあいだで成績の話になるたびすごく憂鬱だった。

だから、いつも「勉強しなきゃ…」とノイローゼのように考えていた。飯食ってる時も、下校してるときも、風呂入ってる時も。


四六時中そればっかり考えているから、当然他のことに身が入らなくなる。部活(途中でやめてしまった)、文化祭はもちろん、ゲームや読書、映画すら楽しめなくなったのはその頃だ。

高校最後の文化祭の閉幕直後、みんなが感極まって泣いたりしてるなか、僕は会場の隅で「早く終わってくれないかなぁ」と無表情で考えてた。楽しめるなら楽しみたいという気持ちは常にあったけれど。


それだけ勉強のことばっかり心配していただけあって、何とか浪人せずに大学へ滑りこむことができた(最後まで学校の中で優等生になることは無かったけれど)。

…ものの、それと引き換えに、あのときしかできなかったこと・あのときしか経験できなかったはずのことの大半はどぶに捨ててしまったと思う。*1

時間が巻き戻ったとしても、そして仮に秒速5センチメートルのようなシチュエーションに置かれたとしても、僕のスペックがそのままだとしたら、僕はまた自分から青春を放棄して、何も誇れることの残らなかったどす黒い高校生活を繰り返すのだと思う。だから「あの頃に戻りたい」とは自分は欠片も思わない。高校時代が終わってくれて良かった。


僕がべたべたの学園青春ものの作品を見て感じる「死にたい」という気持ちを分解するとこんな感じ。

そうだ、ここまで書いて分かった。僕は青春が羨ましかったのではなくて、青春を楽しめる心が羨ましかったのだと思う。勉強・部活・恋愛、いろんなことを同時に抱え込んでいても切り替えができる、あの器用さも。

*1:晴れて大学生になった後も、この「なんか生産的なことしなくちゃ」とノイローゼのように考えてしまう性格は治らなくて、そしてそれが諸々の決断に大きな影響を与えたのだけど、それはまた別の話。