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聞かれてもいないことを喋る

どこの SNS よりも一番自然体な文章を書き残す場でありたい

冬至

 

なんかリア充アピールっぽい写真だけど、用事があって1人で表参道に行ったとき(っていうかさっき)撮った写真です。

 

10 月の初めに「夏は働きすぎたのでこれからはもっと労働時間を減らしたい」という旨の日記を書いた が、この 2-3 ヶ月間その目標を達成できたかというと、てんで駄目だった。そういう自分に嫌気が差して、今すごいイライラしながらこの文章を書いている。

会社からハードワークを強いられた結果そうなっているのかというと全くそんなことはなく、むしろ見積もってスケジュールを引く権限は常に自分にあった。それにも関わらず働きすぎになってしまったので、たぶん自分は見積もり能力とかタスク管理能力みたいなのがまだまだ未熟なんだろうと思う。そしてその能力を引き上げない限りは、今後自分はどの組織に属していようと幸せに働けない気がした。

なのでこういった ↓ 本を年末年始はいくつか読んでみようと思う。( Twitter で本を薦めてくださった皆さんありがとうございます。)

アジャイルな見積りと計画づくり ~価値あるソフトウェアを育てる概念と技法~

アジャイルな見積りと計画づくり ~価値あるソフトウェアを育てる概念と技法~

心を亡くすと書いて忙しいと読むだけあって、自由時間の取れなさからここ 2-3 ヶ月荒みっぱなしでヤバい。可処分時間が確保できないから趣味をある程度妥協して生きてるのだけど、その結果がメンタル状態にダイレクトに来てる気がする。

なんか今年はしょっぱい感じで仕事を納めることになってしまいそうだ。来年はもっと幸せに働くために、自分に足りない能力を直視して伸ばしていきたい。

帰省するたび思うこと

年末ですね。

うちの一家(父母姉)は毎年大晦日と元旦は両親の実家に集合するというのが暗黙の決まりなので、今年も実家のある関西に帰省することになるんだろう。*1

 

で、毎年帰省するごとに思うのが、「自分を無条件で全肯定してくれる存在って良いものだなぁ」ということだ。

僕は友達がほとんどいない。ゼロってことは流石にないけど。(大学時代はずっと引きこもってプログラミングしてて、社会人になってからも持病がひどくて人と会うなんてことは滅多にできなかったので、作るタイミングを完全に逃したのだ)

なので日頃顔を合わせる人たちは 99% が同僚だ。

 

仕事上の付き合いとなると、自分が仕事でヘマをすれば周りの信頼はあっさり落ちるし、逆に信頼を積み重ねていくのはとても大変だ。会社の中で周りから認めてもらうためには、日々の努力と成果の積み重ねが欠かせない。

一方で家族というのは、なーんにもしなくても、そのまんまの自分を受け入れてくれる。帰省するたびに、自分にもそういう存在があったのだなと、ハッとする。

 

僕の好きな言葉に「人には行く場所と帰る場所が必要だ」というのがある( この話から)。行く場所が働きに行く場所だとすると、帰る場所というのは「自分を無条件で全肯定してくれる人のコミュニティ」のことを指すだろうか。それは家庭に限らないと思う。

人には「帰る場所」、つまり自分を無条件で全肯定してくれる人が必要なのだと僕も思う。(特に、夢や目標に向かって頑張っている人にとっては、とりわけ。足場・帰れる場所があるから頑張れるというのはあると思う。)

僕にとっては家族がそうだし、少ないながらも友達にもそうしてくれる人がいるので、そういう存在のありがたさを噛み締めないとなぁと思ったのだった。

*1:てか先週金曜まで忙しすぎて新幹線のチケット取ってない。ヤバい。まあ喫煙席なら空いてるだろうしなんとかなるだろ。

幸運と不運

幸運も不運も、その人の日頃の行いとは関係なしにランダムに降ってくるものだ、という持論を昔から持っている。

日頃の行いをどんなに頑張って良くしていても災難にぶち当たるときはぶち当たるし、逆にズルして生きてるときに限って幸運が訪れたりすることもある。

 

だから日頃の行いを良くしても意味ない、ということが言いたいのではなく。

 

日頃の行いをどれだけ良くしていても不運に泣かされるときは泣かされる。それはもうどうしようもないし、仕方ない。

そういうときに泣きつけたり弱音を言える人が近くにいれば素敵だよね、と思う。

病気を経て変わった価値観

持病が一段落ついて(なんか最近毎回これ言ってる気がするな)、どのくらい経つだろう。今の病院に通院先を変えて、治療の効果が出だしたのは確か今年の 5 月か 6 月くらいだったろうか。

薬の効き具合が体調によって異なるので体調のアップダウンには未だに多少苦しまされるものの、それでも今の病院にかかるまでの、あの息をするのも苦しいほどの日々とは随分違った生活を送れている。

 

持病が一段落ついて、自分の価値観に生じた最も大きな変化は、「幸せの閾値が下がった」、これに尽きる。

今は、友達が少なくても、夢までの道のりがまだまだ遠くても、自分が技術者としてちっぽけな存在だと思い知らされても、独り身でも、それでも病気の苦痛・重圧・絶望感からある程度解放されただけで十分幸せだと胸を張って言い切れる。

人並みの人生を送れることがどんなに幸せか、病気になる以前の自分は全く知らなかった。小さなことでいつもウジウジ悩んで(まあそれは今もだけど)、自分は満たされないといつも思っていた。

だけど今は違う。

 

まあ、幸福を手に入れることとハングリー精神を捨てることは違うので、夢はこれからも引続き追い続けていきますよ、と。

 

追記

価値観が良い方向に変わったとはいえ、病気になってよかったとは思っておらず、僕は「病気はならないに越したことはない」派です。

社内勉強会で「RESTful API の設計のキホン」という話をした

自分の関わった案件で API のレビューをするときに、「こういうふうに直せ」と指示はしてきたけれど、「なぜそう直さなければならないのか」までちゃんと説明しきれてなかったので、API 設計の Good Practice(だと僕が思うもの)を資料にまとめて発表した。

まあまあリアクションは良かったので一安心した。

資料を作るにあたり参考にしたもの

Web API: The Good Parts

Web API: The Good Parts

Webを支える技術 -HTTP、URI、HTML、そしてREST (WEB+DB PRESS plus)

Webを支える技術 -HTTP、URI、HTML、そしてREST (WEB+DB PRESS plus)

あと、技評の @zigorou さんの特集。

Web API The Good Parts はすごい薄い本だし、エッセンスが凝縮されてると感じたので読んで損はないと思います。