子供が欲しいと思ったことがない後ろめたさ

はてなダイアリーつながりで知り合った友達とさっきまで飲んでいた。かれこれ、このつながりは 10 年近くになる。すごい。

みんなもうアラサーなので、結婚した人や子供をもうけた人もいる。自分と人生のステージが異なる人の話は聞いていて新鮮さがある。とても面白い時間だった。

さて、同世代の人たちが今絶賛出産ブームなのだけど、出産の知らせを聞くたびに「え、あなたも子供が欲しいと思ってたのか … !」とびっくりする。僕は子供が欲しいと思ったことが多分一度もない人間なのだ。

自分が子供が欲しいと思えない理由は二つある。一つ目。自分は身体が強い方でなく、日々の最低限の日常を生きるので精一杯なので、子供を育てる余力がないだろうなということ。二つ目。自分は二十代の余暇をほぼ闘病で潰してしまいつつあり、まだまだ自分の夢を追いかけられていない。子供を作る前に、健康に戻れたらまず自分の夢を気の済むまで追いきってみたい。そういう気持ちが捨てられないのだ。

周りがバンバン出産していると、子供が欲しいと思わない自分の感覚がぶっ壊れてるのかなと結構不安になる。自分の生まれ育った国を持続させることに貢献できない後ろめたさもある。… ものの、こればかりは自分ってマイノリティなんだなぁと自覚しつつ、今のまま生きていくより他にない気がする。

(自分は子供を作らないつもりだけど、子供を作って育てる人はみんな一人残らず偉大だと思ってます。)

狭い部屋とカフェ

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特に深く考えず安さだけで即決した、刑務所の一室のような狭いワンルームに住んでもう 6 年近くになるだろうか。

たまーに家に人を呼んで食事を振る舞ったりするときに、だいたい「もっと広い部屋に住むべきだ」と言われるので、盲目的に「次に住む場所はもう少し広い部屋でなくてはなぁ」と考えていた。

だけど冷静に考えると、やっぱり僕には狭い部屋が合ってるんじゃないか、と思い直すに至った。

というのも。僕は昔から、家にいても落ち着かないタイプの人間で、ゆっくり落ち着きたいときはいつも近所のカフェなど外で過ごすようにしている。

そういう自分にとって、どれだけシームレスに家からカフェに移動できるかがメンタルヘルスの鍵を握る。メンタル状態が悪化しているときに、お金のことを気にせずすぐに近所のカフェに行けるためには、家は狭くてもいいのでランニングコストが安いことが重要なのだ。(なんかもう、ここまでくるとカフェが家の延長のようなものだ。)

そんなわけで、また住む場所を変えるとしても、おそらく自分は狭い家を選ぶのだろう。僕は家でくつろぐことも TV を見たりすることもないので、リビングのあるような広い部屋である必要はないのだ。誰かと暮らすようになったらまた事情が変わってくるのだろうが、それはそのときになったら考えればいい。

続く胃の不調

4 月くらいから胃の調子を崩している。具体的に言うと、ものを食べると胃痛と倦怠感がすごい。

脂っこいものが特に駄目で、油を少量でも使う料理でも食べられないので、料理欲が満たせずいらいら。

これは持病の病院を探すときも思ったのだけど、身体を壊して、近所の病院に通ってもなかなか良くならなかった場合、より良い病院にかかりたくなるものだが、現状では「良い病院」を探す手段がほぼ無いように思う。いや、書籍や病院クチコミサイトなど無くはないのだが、ある病院の評判が、書籍 A とクチコミサイト B とクチコミサイト C とでバラバラに分かれることもザラなので、どこの情報を信じれば良いかが分からず途方に暮れる。… という経験をしている人はおそらく自分以外にもたくさんいるのではないかと思う。

ネットサービスに関わる人間の端くれとして、ウェブが医療を全然エンパワーメントできてない現状を悲しく思う。この 5 年、遅くても 10 年でネット上の病院・医療情報が改善されると良いのだけれど … 。

「今の時代に女が結婚する意味って?」を読んで

男だけどなんかやたらと共感した。

anond.hatelabo.jp

あとブコメも共感するやつ結構ある。

はてなブックマーク - 今の時代に女が結婚する意味って?

夫の本家のおばあさんは、ここ十年で友達がどんどん亡くなったり老人ホームに入ったりで、寂しそうだわ。おじいさんも大病患ってもう長く無いだろうし。結婚しててもしてなくても加齢には無力だし老後は孤独。

分かる。結婚しないと老後が寂しくなるよー、と友人が言ってたけど、結婚しようがしまいが老後は孤独だというのが自分の意見。

僕も結婚については近い認識を持ってるけど、あんまり極端な気持ちに囚われすぎないで流れに身を任せるのが一番だと思う。結婚って相手がいるからこそ出来ることであって結婚したいと思える人がもし現れたら素敵やん

分かる。てかいいこと言う。

目的は一番できる人になることじゃなくて

お仕事の話。

会社の中に、神がかって設計が出来る人が何人かいて、自分はそういう人たちのめざましい活躍を見て「あんなんに絶対追いつけるわけないわ、無理無理」思って設計のスペシャリストになることはハナから諦めていた。

だけど、実際に業務をしていると、一番頭数の不足を痛感するのは「設計のできる人」だ。

で、いろいろ考えた結果、神がかって設計ができる人のレベルまで到達できなくても、今の組織の中で設計のできる上位 15% くらいに入るだけでも、チームの中で価値をかなり発揮しやすくなるし、将来の食い扶持にも十分なるんじゃないかなぁ、とゆるく捉えることにした。

まぁ、なので。これは設計分野に限った話ではないが、頭一つ抜けて出来る人を目の当たりにしても、怯まずに自分の腕を磨くことに集中したい。僕の目的はスーパースペシャリストになることじゃなくて、チームの中で価値を発揮してプロジェクトを成功へ導くことなのだから。目的を履き違えない。