聞かれてもいないことを喋る

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狭い部屋とカフェ

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特に深く考えず安さだけで即決した、刑務所の一室のような狭いワンルームに住んでもう 6 年近くになるだろうか。

たまーに家に人を呼んで食事を振る舞ったりするときに、だいたい「もっと広い部屋に住むべきだ」と言われるので、盲目的に「次に住む場所はもう少し広い部屋でなくてはなぁ」と考えていた。

だけど冷静に考えると、やっぱり僕には狭い部屋が合ってるんじゃないか、と思い直すに至った。

というのも。僕は昔から、家にいても落ち着かないタイプの人間で、ゆっくり落ち着きたいときはいつも近所のカフェなど外で過ごすようにしている。

そういう自分にとって、どれだけシームレスに家からカフェに移動できるかがメンタルヘルスの鍵を握る。メンタル状態が悪化しているときに、お金のことを気にせずすぐに近所のカフェに行けるためには、家は狭くてもいいのでランニングコストが安いことが重要なのだ。(なんかもう、ここまでくるとカフェが家の延長のようなものだ。)

そんなわけで、また住む場所を変えるとしても、おそらく自分は狭い家を選ぶのだろう。僕は家でくつろぐことも TV を見たりすることもないので、リビングのあるような広い部屋である必要はないのだ。誰かと暮らすようになったらまた事情が変わってくるのだろうが、それはそのときになったら考えればいい。

続く胃の不調

4 月くらいから胃の調子を崩している。具体的に言うと、ものを食べると胃痛と倦怠感がすごい。

脂っこいものが特に駄目で、油を少量でも使う料理でも食べられないので、料理欲が満たせずいらいら。

これは持病の病院を探すときも思ったのだけど、身体を壊して、近所の病院に通ってもなかなか良くならなかった場合、より良い病院にかかりたくなるものだが、現状では「良い病院」を探す手段がほぼ無いように思う。いや、書籍や病院クチコミサイトなど無くはないのだが、ある病院の評判が、書籍 A とクチコミサイト B とクチコミサイト C とでバラバラに分かれることもザラなので、どこの情報を信じれば良いかが分からず途方に暮れる。… という経験をしている人はおそらく自分以外にもたくさんいるのではないかと思う。

ネットサービスに関わる人間の端くれとして、ウェブが医療を全然エンパワーメントできてない現状を悲しく思う。この 5 年、遅くても 10 年でネット上の病院・医療情報が改善されると良いのだけれど … 。

「今の時代に女が結婚する意味って?」を読んで

男だけどなんかやたらと共感した。

anond.hatelabo.jp

あとブコメも共感するやつ結構ある。

はてなブックマーク - 今の時代に女が結婚する意味って?

夫の本家のおばあさんは、ここ十年で友達がどんどん亡くなったり老人ホームに入ったりで、寂しそうだわ。おじいさんも大病患ってもう長く無いだろうし。結婚しててもしてなくても加齢には無力だし老後は孤独。

分かる。結婚しないと老後が寂しくなるよー、と友人が言ってたけど、結婚しようがしまいが老後は孤独だというのが自分の意見。

僕も結婚については近い認識を持ってるけど、あんまり極端な気持ちに囚われすぎないで流れに身を任せるのが一番だと思う。結婚って相手がいるからこそ出来ることであって結婚したいと思える人がもし現れたら素敵やん

分かる。てかいいこと言う。

目的は一番できる人になることじゃなくて

お仕事の話。

会社の中に、神がかって設計が出来る人が何人かいて、自分はそういう人たちのめざましい活躍を見て「あんなんに絶対追いつけるわけないわ、無理無理」思って設計のスペシャリストになることはハナから諦めていた。

だけど、実際に業務をしていると、一番頭数の不足を痛感するのは「設計のできる人」だ。

で、いろいろ考えた結果、神がかって設計ができる人のレベルまで到達できなくても、今の組織の中で設計のできる上位 15% くらいに入るだけでも、チームの中で価値をかなり発揮しやすくなるし、将来の食い扶持にも十分なるんじゃないかなぁ、とゆるく捉えることにした。

まぁ、なので。これは設計分野に限った話ではないが、頭一つ抜けて出来る人を目の当たりにしても、怯まずに自分の腕を磨くことに集中したい。僕の目的はスーパースペシャリストになることじゃなくて、チームの中で価値を発揮してプロジェクトを成功へ導くことなのだから。目的を履き違えない。

病気を抱えつつ社会人をやっていくという生き方

持病を抱えながら社会人をやり始めて、4 月で 6 年目になったようだ。

そういう生き方をする中でしみじみと感じるのは、病気に理解のある家族ないしは友人の有無によって、病気と寄り添いながら生きる人生の難易度は随分と変わってくるということだ。

社会人は健康であること、100% のパフォーマンスを出せることを前提に接せられる。健康上の問題を解決することはマイナスをゼロに近づけることであり、その努力をいくら頑張っても社会から褒められることは決してない。加えて、仕事は自分が調子を悪くしている間も基本的に待ってくれるものではないから、早く健康に戻らねばと非常に焦らされる。だから、健康の問題と対峙していくということはとても孤独で、モチベーションの維持も難しいことだと感じる。

では仕事の世界を離れれば理解者はいるか… というと、見つけるのはなかなか難しい。自分が抱えている病気が普通の人には馴染みの薄いものであればあるほど、病気と闘うつらさは理解されにくいものだ。

そういう孤独な闘いを強いられる生き方であるからこそ、病気に関して理解のある人が周りにいるときの安心感というか、救われる感というのは本当に大きいものだなと思う。

身体の問題に抗いつつ社会人をやるそれぞれの人の近くに理解者がいてくれることを心から願うとともに、自分もまた病気に抵抗する人の理解者でありたい。

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